ワーズワースの詩「 Daffodils(水仙)」 から学んだ幸せの見つけ方(心に残る大学の講義より)

今ではすっかり昔の話になってしまいましたが、地方から上京して初めての大学生活のこと。マンモス大学として知られた大学でしたが、私の通った文学部には週4コマの英語の授業がありました。地方出身でそれまで一度もネイティブの人と出会ったこともなければ話したことなどまるでなかった私は、1年生必修の英語のクラスでケンブリッジ大学英文科卒のイギリス人の先生に一年間イギリスの詩を教わりました。4コマのうち1コマがイギリス人のネイティブの先生、1コマはオックスフォード大学に留学経験のある日本人の先生、1コマはケンブリッジ大学に留学経験のある台湾出身の先生による授業でした。

その当時はこのような環境が特別恵まれているとも思わないまま過ごしましたが、英文科でもない新入生がいきなりオックスブリッジで学んだ教師に直接英語を学べる機会が得られたのは、考えてみればとても恵まれたかけがえのない経験だったのかもしれません。台湾出身の先生の授業は1回の授業で何十ページも進むので、皆ついていくのに必死でした。今でも同級生と会うと「〇先生の授業、大変だったね」ともっぱらの語り草です。

ケンブリッジ大学出身のイギリス人の先生はご高齢で、定年間近かと見えましたが、A Book of English Poetryという詩集を使ってロマン派の詩人(Wordsworth, Coleridge, Charles Lamb, Sir Walter Scott, Lord Byron, Shelly, Keats)の詩を年間を通じて取り上げ、解説されました。

ネイティブの先生の授業は生まれて初めてのことでしたし、すべて英語による授業でした。背筋を凛と伸ばして格調高いイギリス英語を朗々と話されるその姿と声の調子が今も脳裏に焼きついています。

講義の細かい内容はほとんど忘れてしまっていたのですが、私の心にずっと残り、私の心の拠りどころとなってきた一片の詩があります。ワーズワースの「Daffodils(水仙)」という詩です。

今回、実家に手付かずのまま置かれていた自分の机の本棚から探し出したノートの記述から再現し、書き留めておきたいと思います。

Daffodils 

I wander’d lonely as a cloud
That floats on high o’er vales and hills,
When all at once I saw a cloud,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the Milky Way,
They stretch’d in never-ending line
Along the margin of a bay:
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing their heads in sprightly dance.

The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee:
A poet could not but be gay,
In such a jocund company:
I gazedーand gazedーbut little thought
What wealth the show to me had brought:

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the daffodils.

 出典:A Book of English Poetry
(FROM CHAUCER TO LIVING POETS)
Edited with Introduction and Notes by SHOTARO OSHIMA

                       

〈Note : 当時のノートより抜粋〉

I did not think what value the sight of the daffodils had given me.
inward eye = his subconscious mind 潜在意識
picture rests for the rest of his life

There is a special kind of happiness you can find in loneliness.
Because at such moments your sub-conscious mind brings back the beautiful things that have happened to you.

safety measure of the brain
shuts out the terrible things

This is the world, the very world of all of us, the place where in the end we find our happiness or not at all.
Happiness is all around you if you know what to look for.

now. no need to wait for tomorrow
in the single things of life

He was trying to find what the true relationship between man and nature should be.
Man and nature must be one in harmony, or life is not complete.

とてもシンプルな易しい英語で書かれていて、中学生でも読めそうです。けれども、詩の解釈の仕方を知らなければ、こんなに深い意味が隠されているとは気づかないでしょう。教え導いてくれる教師が必要とされる所以です。

英語を日本語に訳してしまうと訳した時点で、訳した人の解釈の仕方が反映されることになり、本来の詩がもつ柔らかさ、すべてを包み込んでしまうような包容力を表現できないような気もしています。ワーズワースのこの詩は日本語の名訳と読み比べてもよいと思いますが、最終的にはオリジナルの英語のままで感じていただければ幸いです。(参考:ワーズワース詩集 (岩波文庫 赤 218-1) etc.)

この詩に関連して思うこと。

夢は果てしなく限りなく大きくていいと思います。想い描くのは自由ですし、夢があるからこそ実現の可能性があるのですから。エジソンもライト兄弟も夢があったからこそ、偉大なる発明ができたと思うのです。

しかし、人間は弱い存在です。夢が大きければ大きいほど実現には困難が伴い、自分の夢に押しつぶされそうになることもあるに違いありません。長い人生の中には、浮き沈みもあることでしょう。孤独感や無力感に苛まれる時もあるでしょう。思うように事が運ばない時にはワーズワースの詩を思い起こしてください。

幸せは今、この瞬間にもあなたのまわりにあるのです。明日を待つ必要はないのです。ワーズワースの「Daffodils」の詩が幸せは遠くにあるものではなく、あなたのすぐそばにあると気づかせてくれるに違いありません。

今は亡きDavid Friend先生の授業は今はやりのアクティブラーニングではなく、一方向的に講義するスタイルで、先生と言葉を交わしたことは一度もありませんが、先生のHappiness is all around you…という言葉は、その日以来一日たりとも忘れたことのない座右の銘となり、今も私の心の拠りどころとなって生き続けています。

This is the world, the very world of all of us, the place where in the end we find our happiness or not at all.
Happiness is all around you if you know what to look for.